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エッジの効いたキース・リチャーズの名言

こんにちは、スズロウです。

永遠の悪童キース・リチャーズも80歳を前にして酒も煙草もセーブし、自身の健康に関心を持ち大切な家族と過ごす時間を大切にしているようですね。

彼の発する言葉の端々に独自のユーモアと知性を感じ、リードギタリスト兼コンポーザーとして並外れた才能と影響力を持つ彼は、ミュージシャンの中で僕が最も敬愛するマストアイコンです。

ストーンズのメンバー全員、ものすごくカッコよく齢を重ねていて、更にあのコンサートでの圧倒的な集客力とパフォーマンスは、観る者全てを惹きつけずにはいられない唯一無二のバンドですね。

ローリング・ストーンズ最高!

image source:universal-music

キース・リチャーズ

『いつだって新しい弾丸を込めとかないと錆びついちまうんだよ。』

キース・リチャーズについて

キース・リチャーズ/Keith Richards

1943年12月18日生まれ (現在79歳) 英国ケント州出身のギタリスト。20世紀を代表するロックバンド「Rolling Stones/ザ・ローリング・ストーンズ」の結成メンバー。その後、現在に至るまでまで一貫してミック・ジャガーの盟友としてステージに立ち続けている。ストーンズの持つ不良のイメージの、永遠の体現者。

周囲のミュージシャンについては、辛口のコメントを連発しているキースですが、あのボブ・ディランと初めて会った際の会話もなかなかするどい。

ボブ・ディラン&キース・リチャーズ

ディラン『僕には”Satisfaction”は書けたと思うけど、君には”Desolation Row(邦題:廃墟の街)”は書けなかっただろうね』

キース『じゃあ君はなぜ先に”Satisfaction”を書かなかったんだ?それにオーティスは”Satisfaction”をカヴァーしたけど”Desolation Row”はカヴァーしてないぜ』

キースの放つ名言のほんの一部

『ロックンロールは若者やガキがプレイするものという理屈なんてどこにもない。年喰った連中がやったっていいものはいいんだ。』

テレキャスターの6弦を外してのオープンGチューニングが彼のトレードマークであり、このスタイルを代表する曲は「ホンキー・トンク・ウィメン」、「ブラウン・シュガー」等多数。1977年ヘロインの不法所持で逮捕されましたが、盲人の為のチャリティー・コンサートを行う条件で無罪判決、その後麻薬からの脱却に成功しています。


『やった、元気になった!これでドラックができる!』

キースの麻薬中毒期の伝説の一つに「キースはドラッグ治療の一環として、全身の血液を全て交換してもらった」という有名な逸話があります。ですがこれは辛かった治療を語るのが嫌で「どうやってドラッグを断ったのか?」の質問に「血液を入れ替えたんだ」とウソをついたと、後に本人が血液の交換は作り話だったことをカミングアウトしています。

しかし周囲の人間からは、血液交換の事実を認める証言も多く、未だ真相は謎のままのようです。 そんなキースが血液を入れ替えた直後に発したと言われる一言がこれ!


『相手の頭をブン殴るには、やっぱりギブソンよりフェンダーなんだよな。 完璧だぜ、あれは。テレキャスのカーブほど首筋にピッタシはまるもんはないって』

60年代、オルタモントでヘルズ・エンジェルスに一人で立ち向かい、80年代のハンプトン・コロシアムでは、ステージに駆け上がってきた男をギターでぶっ飛ばし、69 年から長く、次の死亡者予定リストの首位を走り続けてもいたキースならではの一言。


『死んでから伝説になるくらいなら、生きてるうちに伝説って呼ばれたいね』

ビートルズの解散に対してキースが発した本音の一言。ポールマッカートニーは『解散は誰のせいでもない、ビートルズがビートルズを去ったんだ。』と言っていたましたが、解散を決めたのはジョン・レノンであると後に発言しています。


『曲って不思議なもんで、向こうからこっちを選んでやって来るんだ』

作曲に関しては、基本的に「ジャガー-リチャーズ(Jaggar-Richards)」表記で統一されています。初期〜70年代あたりまでは、ミックが作詞と歌メロ、キースが作曲を担当していたようですが、それ以降は顔を合わせたときにアイデアをぶつけ合って完成させているのだとか。


『バンドを結成したのはイアン・スチュアートで、俺たちはみんなイアンに惹かれて集まったんだ』

ミック・ジャガーとキース・リチャーズは1961年10月17日、英ケント州のダートフォード駅のプラットフォームで初めて会話を交わし、翌1962年にローリング・ストーンズが結成されるきっかけになったとし、同駅のロンドン行きのプラットフォームには、二人の出会いを記念するブルー・プラーク(著名人がその場所にいたことを記念する青いプレート)が2015年に設置されました。

しかしその後、ビル・ワイマンからのクレームを受け、「ここでミックとキースが出会い、ザ・ローリング・ストーンズの一員になった」と記述内容の一部を変更しています。

ビル・ワイマンは、「ブライアン・ジョーンズが、ブルース・バンドを結成したくて、それぞれのメンバー1人1人に声をかけたんだ。彼がザ・ローリング・ストーンズと名付けた。彼が音楽を選び、彼がリーダーだったんだ」と主張しています。

『太陽がある、月がある、空気がある、そしてローリング・ストーンズがいる』

インタビュアー&キース・リチャーズ

インタビュアー「人を殺したことはありますか?」
キース「プライベートな事は聞くな」

麻薬所持の際の裁判でのやり取り

裁判官「あなたの職業はなんですか?」
キース「リードギタリストです」
裁判官「それはどんな内容の仕事ですか?」
キース「いちばんデカイ音を出す仕事です」
裁判官「あなたはなぜ何回捕まっても薬に手をだすのですか?」
キース「中毒だからです」

まったく“クス”ってきますね。

2021年8月24日 80歳にて亡くなったチャーリー・ワッツを追悼。

image source:HOMINIS

キース・リチャーズ

『ローリング・ストーンズはチャーリー・ワッツのバンドなんだ。奴がいなけりゃバンドは成り立たない』

チャーリー・ワッツ

『僕がロックンロールを一緒にプレイするのは彼らだけだ』

ローリング・ストーンズはブライアン・ジョーンズの他界、ミック・テイラーとベーシストのビル・ワイマンの脱退を乗り越えて活動を続けてきました。それが容易でなかったことは想像に難くありませんが、そんな彼らでさえ、チャーリーのいないローリング・ストーンズは想像できないと発言しています。チャーリーもまた、彼らに対して同じ思いを抱いている事を伝えている感動的な言葉です。

バンドが60年間続いてきたことについて

キース・リチャーズは『ザ・サン』紙にバンドがこれまで長く続いてきた理由について次のように語りました。

キース・リチャーズ

「人生は死ぬのは面白すぎるしな。やりたいことは何でもやってきた。怠けてなんかいられないしね。まあ、それに大量のコカインも使ってきたしな」

「60年なんて死ぬほど長いけど、どうやってやったと思う? 最も重要なことはバンドにいる連中が一緒にやりたいということだよな。それが手助けになるんだ」

彼は次のように続けています。「もちろん、浮き沈みはあったけど、最終的には一緒にやったほうがクリエイティヴになるってことに気づくんだ」

「それに、もちろん、60年間を通してお互いに慣れているというところはあるよね」

「ちゃんとリハーサルをやるバンドの特別なところはお互いをよく知っているし、次にどうなるか予測できるんだよ」

ザ・ローリング・ストーンズはマドリード公演でリリースから半世紀以上を経て、1966年発表の“Out of Time”をライヴで初披露しています。

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